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「アウトプットは勉強になる」理論と、勉強のアンチパターンについての考察

「アウトプットは勉強になる」という言葉があります。

この言葉は間違いではないとは思うのですが、個人的には疑問に感じる部分もあります。

この記事には、「アウトプットは勉強になる」理論についての自分の考えを書いていきます。

「アウトプット」の定義

まず最初に、この記事での「アウトプット」の定義を明確にしておきます。

広く言えば

  • 勉強会で発表する
  • ブログなどに記事を書く
  • プログラムを書いたり、数学の問題を解く
  • よく分かっていないものをノートに整理する

といったアウトプットがあると思います。

私が「アウトプットは勉強になる」理論で疑問に感じているのは、他人に説明する系のアウトプット、つまり

  • 勉強会で発表する
  • ブログなどに記事を書く

といったものなので、以降この記事ではこの種のアウトプットについて考察していきます。

「アウトプットは勉強になる」理論について

冒頭にも書きましたが、「アウトプットは勉強になる」という考え方について、自分は賛同できる部分と、そうではない部分があります。

すでに詳しい分野のアウトプットは、勉強にならないことも多い

「アウトプットは勉強になる」という考え方の基本は、「アウトプットをきっかけに、強制的に勉強することになるので勉強になる」という理屈だと思います。

ただ、「すでに詳しい分野のアウトプットは、勉強にならない」という場合も少なくないと感じています。

たしかに、すでに詳しい分野の発表でも、

  • 細かいケースの調査
  • 他者からのクリティカルな質問

などが勉強になることもあります。

ただ、クリティカルな質問への回答がすでに確立されている場合や、そういった質問を受けにくい場でのアウトプットは、勉強にならないケースも多いと感じます。

アウトプットが勉強になるためには、ある程度未知の分野であることや、クリティカルな質問をされうる状況であることが前提として必要なのではないでしょうか。

勉強のアンチパターン「きれいなノート」について

「アウトプットする分野の勉強になる以外にも、アウトプットの仕方の勉強になる」と言われることがあります。

具体的には、資料作成や、分かりやすい話し方の練習になるという意見です。

勉強したい分野の勉強と、アウトプットの仕方の勉強は別物

発表や記事の作成が、資料作成や分かりやすい説明の練習になるというのは間違いないですし、それはそれで重要なスキルだとは思います。

ただ、身につくスキルが違うことは忘れないほうがいいと思います。

  • アウトプットの仕方 (資料作成や説明の仕方) の能力
  • アウトプット対象の分野の知識

の 2 つは別物です。

「アウトプットの仕方が上手なため誤魔化せているだけで、実はその分野の知識自体はあまり豊富ではない」という例もしばしば見かけます。

個人的には、アウトプットの仕方が上手なだけでなく、実際にその分野に詳しいことも重要だと思うので、アウトプットの練習になることだけを重視しすぎないほうが良いと考えています。

「きれいなノート」を作ってはいけない

そして、発表用などで「きれいな資料」を作ることは、勉強法の定番のアンチパターンだとも思います。

いわゆる受験勉強で、ノートはきれいなのに成績がそこまで上がらないという話がよくあります。

これは、ノートをきれいにしている時間は、ノートがきれいになるだけで、知識は身につかないからです。

自分が何かを理解するためにノートなどに整理することは重要ですが、身につけたい知識を整理するのに十分な程度の整理をすればよく、それ以上ノートをきれいにするのは、知識をつける上では時間のロスなのです。

勉強が得意な人はノートがきれいでは?

これを言うと、「勉強が得意な人はノートがきれい」という反論があるかもしれませんが、それは因果関係が逆です。

「ノートがきれいだから勉強が得意になった」のではなく、「勉強が得意だからノートがきれいになっている」だけです。

勉強が得意だと、

  • 物事の構造を整理する能力が高まる
  • 先生の板書などを忠実に写す能力が高まる
  • 講義内容をすぐ理解できるため、ノートをとるのに割ける時間が増える

といった理由で、結果的にノートがきれいになりやすいのだと思います。

「そういう論文があるって聞いた」について

「アウトプットは勉強になるという論文があると聞きました」という意見もあるかもしれません。

たしかに私もそういった記事を見かけたことはありますが、論文や実験結果というのは、「限られた特定の前提条件のもとで、そう言えるかもしれなかった」ことしか意味しません

前提条件が厳しく、一般的な場面で成立するとは言えないものも少なくないですし、統計というもの自体、何かを証明して断言できるものではないです。

大抵の場合、調べてみると逆意見の論文もあったりします

アウトプットはやめるべきなのか

ここまで「アウトプットは勉強になる」理論について、疑問に思う点を書いてきました。

それではアウトプットをやめるべきなのかと言うと、私はアウトプットはしたほうが良い派です。

アウトプットすることの本当のメリット

私は、「アウトプットは勉強になる」というのは一概に成立しないと思うのですが、それでもアウトプットには以下のようなメリットがあると考えています。

  • 知名度が上がり、仕事に繋がる可能性がある
  • 作成した資料や記事が、後日同じことを調べようとした自分の役に立つ
  • 普段勉強しない分野・あまり詳しくない分野の場合、アウトプットすることを決めると、強制的に勉強時間をとるので知識がつく

こっそり勉強している分野も、それをアウトプットしなければ、周りの人には分かりません。

個人で趣味として楽しんでいる場合はアウトプットもなくていいのかもしれませんが、今や趣味的な活動が仕事に繋がることも少なくない時代だと思います。

気軽にアウトプットしていくべき

そして個人的には、しっかり準備したアウトプットよりも、とにかく気軽にアウトプットするのがおすすめです。

  • 間違った内容を指摘されるのが怖くてアウトプットできない
  • 会社や組織の体裁を気にして、内容ではなく見た目ばかり整えることになる

といった例をしばしば見かけます。

そういった状況も分かりますが、アウトプットは思い切って始めるしかありません

そして、たとえ発表形式であっても、きれいな資料にこだわる必要はありません。 (私はセミナーで資料ではなくホワイトボードで話すことも多いです)

継続することで、資料作成や説明の仕方も上達しますし、アウトプットのスピードもどんどん上がります。

アウトプットは始めることと、継続することが重要だと思います。

まずは質にこだわりすぎず、とにかく始めてみましょう